都市伝説みたいな本当の話


2009年8月20日:サーフィンスクール


私が小さい頃まだ数歳かどうか、おばあちゃんの家が茅ヶ崎~大磯にあるのは記憶にありました。

庭は広くてたくさんの人が集まれるほど大きな家に住んでいました。それもそのはず母方の兄弟は

9人兄弟でしたから、家も大きくないと居られないほどだったでしょう。昔は鵠沼海岸の今のT&C[タウン&カントリー]の隣に家があり、戦争で疎開した先がたまたま鵠沼海岸の海ちかだったとか!

この辺りから私がサーフィンを始めるきっかけになっていたような、気がしてなりませんね。

庭にはSURFBOARDのような物体が何本もありました。(すべて廃棄しましたが、とてつもなくビンテージだったはず!)

親戚兄弟は皆 米軍の持ち込んだサーフィン&サーフボードに興味を持ち、一体ナンなのか!?

彼ら米軍からBOARDを高額で譲り受けて、SURFBOARDの中身を割って切り開いたのが日本のサーフィンのはじまりだと親戚から聞かされて私は育ちました。

私は親の仕事の関係で米国で生まれ、すぐに日本に帰り茅ヶ崎で育ちましたが小学校3年生で鵠沼海岸に引越しをしたのがきっかけでサーフィンを始めま した。親に教えてもらった訳ではなく、見よう見真似と周りの強面のEASYというサーフィンクラブのお兄さん方に教えてもらいながらすくすくとサーフィン にのめり込んで行きました。

その頃は自分が一所懸命だったから訳もわからずにガムシャラデしたが、私がPROになりだいぶ経ってから、TVで湘南の特集番組で鵠沼のシャークというサーフィンのTEAMが紹介されて、登場したのが知っている先輩サーファーと親戚の叔父さんの若い頃の写真でした。

その親戚は勿論今も健在で、娘にあたる親戚と私は一緒にHAWAIIにも行きました。

よくある親戚の叔父さんの「武勇伝」  本当か嘘かはあなたが信じるか信じないかです。

私の場合は本当でした、第1回の全日本の大会結果に親戚の名前がありました。

蒼々たるメンバーの中に・・・・・・奇しくも同じ同率の小川氏は私がPROの時代にお世話になった

今は亡き「DROPOUTサーフボード」の社長です。

今になってこうゆう事ってあるんだなって思いました。

良い事と悪い事をしっかり見極めて後世のサーファーに伝えていかなければならない立場になりました。広くサーフィンを伝えていくだけではなく、よりよい環境を継承していきたいと思います。

私にとってこれはまさに都市伝説です。

第1回全日本サーフィン選手権大会
日時:1966年7月10日
会場:千葉県鴨川市 サーフィンビーチ
ジュニア
一般の部
優 勝
川井 幹雄
鴨川ドルフィン
優 勝
勝野 訓年
鴨川ドルフィン
2 位
小川 秀之
シャーク
2 位
佐野功太郎
シャーク
3 位
佐賀 直人
シャーク
3 位
中村 一己
鴨川ドルフィン
シニア
団 体
優 勝
佐賀 光三
シャーク
優 勝
鴨川ドルフィン
2 位
片桐 茂
マリブ
3 位
鈴木 潤一
鴨川ドルフィン




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